2018年03月 一覧

数を打つと決めたら、もう失敗をしてでも短期決戦に持ち込んだほうがいい

これはマッチングアプリのお話です。

自分はよく自分のスタイルに揺れが生じてしまいがちなところがあります。

マッチングアプリでは、ずっとのんびりとしたやり方を続けてきたんですが、
あんまりにも動かないでいたせいで逃してしまった機会は正直多いのです。

最近アプリ上で相手の女性が、どれだけ「いいね」をもらっているのか?
という数字が表示されるようになったんですが、

まあ見てびっくり、

数百という数字が当たり前なんですね。

競争激し過ぎでしょうよw
ため息付いちゃいますよね。

そっか、そんなんじゃ他にいい人がいたら簡単にそっちいっちゃうよね。

モタモタしててはいけないんだなと思わされたわけです。

とはいえ焦りは良くない。
ガツガツしてすぐに会おうとするのも避けられてしまいがちです。

でもそれも仕方なしなんじゃないか。

どっちかというと、避けられないようにするより、
避けられることが多い方法を取ってしまったほうが結局は手っ取り早いのかもしれない。

そう思うようになった。
この方が避けられる痛みへの慣れも早くなるでしょうしね。

ということで試しにそっちの方向性で行ってみよう。

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目的なしの勉強

今は英語に触れているのも普通な感じになっているけれど、
結局のところ英語をやっている理由や目的は何か?と考えても、特には思い浮かばない。

なんかとりあえず続けてやってるな、
ぐらいの感覚だ。

英語の勉強法などを見ると「勉強の目的を考えるのが大切だ」という意見を見ることがよくあるけれど、どうも目的が思い浮かばないという人も中にはいるんじゃないかと思う。

そんな目的なしの勉強について考えてる時に、
そう言えばと思い出してある本を少し読み返していた。

福沢諭吉が自分の自伝の中で、
「目的なしの勉強」について書いているところがある。

とにかくに当時緒方の書生は、十中の七、八、目的なしに苦学した者であるが、その目的のなかったのがかえって幸せで、江戸の書生よりも良く勉強が出来たのであろう。それから考えてみると、今日の書生にしてもあまり学問を勉強すると同時に終始我身の行く先ばかり考えているようでは、修業は出来なかろうと思う。

福沢 諭吉:福翁自伝

学問する時はあまり余計なことを考えない方が良いのだろうということだけど、
読み返してみると、緒方(大阪)の書生は学問それ自体にハマってたとか、学問をやっていることに自負心があったとか書かれてたりする。

となると、自分が英語をやっていた時とはまた違ったりするな。

「英語出来るようになったらいいな」
程度の目的でやり始めて、英語の勉強をしている時の大半は、
「つまらない」とか「しんどい」時間が実は多かった。

それは考えてみれば、何でそんなことしてたん?とも言えるね。
前にも書いたことがあるけど、自分に何かが欲しかったからではあるが。

まぁある程度理解出来るようになってからは、しんどさはなくなったけどね。
それと慣れで退屈さが小さくなったというのもある。

そんな感じで振り返ってみると、
継続が出来れば大した目的がなくても修得は出来るんじゃないかと思う。

ただし無駄に時間がかかってしまう面はあるかもしれない。

目的を定めて取り組んだ方が、効率よく短期間で修得できるとは正直思う。

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